神奈/小峯御鐘ノ台大堀切東堀
「こみねおかねのだいおおほりきりひがしぼり」と読む、小田原北条氏四代氏政と、五代氏直が、豊臣秀吉の攻撃に備えて築いた、城下町小田原全体を囲む全長9kmの「惣構(そうがまえ)」。その巨大な堀切と土塁の一部を、次回、城址巡りの下見で歩いてきた。この周辺にはこうした遺構がいくつも残っている。掘り下げた土を両側に土塁として積み上げた竪堀は、延長280m、上幅25~30m、深さ12m~15m、のり面斜度50~60度で、途中にダムのような仕切りを設けた、堂々たる「障子堀」だったそうだ。時が経ちかなり浅くはなったが、整備されて今にこの堀切を歩くことができるのは素晴らしい。2月に実施した「三浦半島・後北条氏ゆかりの城址」の総集編として、攻める豊臣秀吉側が陣を張った「石垣山一夜城址」、標高540mの「三島・山中城址」とともに、たこつぼ会員限定で10月に実施予定。
« 健康なかいち散歩 | トップページ | 没後200年/伊能忠敬の日本図 »
「近くば酔って目にも旅心」カテゴリの記事
- DX(デジタル変革)の現実(2025.06.28)
- 福岡/漢委奴國王金印(2025.06.24)
- 佐賀/朝鮮出兵 名護屋城跡(2025.06.22)
- 群馬/榛名神社の石祠(2025.05.27)
- 神奈/ろーじん会で三崎港(2025.05.25)
コメント