運動不足で上恩田冨士
これはお墓ではありません。先日に訪れた神鳥前川神社の富士塚が、下恩田の富士塚を移設したものと知り、それなら上恩田冨士は?と調べたら、桂台公園近くの住宅街に、塚はなくなったものの石碑だけ残っていることがわかり、ちょっと遠かったけど往復12kmがんばってみました。この富士塚がどのくらいの高さに盛られていたのか不明だけど、場所と向きは当時のままとのことで、一番奥の祠が塚の頂上にあって、手前の手水鉢までの真ん中に参道があり、それはそのまま(冨士山が背中方向というのは珍しい)ほぼ直角に、鎌倉道に接続していたらしい。石碑裏の文字は判読が難しかったけど、表の「元祖 食行身禄」や「御室淺間宮」「小御嶽石尊大権現」などはハッキリ読める。また手水鉢には山笠の下に冨の字があり、ヤマトミ講とでも読むのだろうか。しかしこれだけ残っているのだから、いつか整備保存されると良いなあ。近くの桂台公園に富士塚のような高台があったので登ってみたけど、ここからも住宅や樹々で冨士山は望めなかった。
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