神奈/後北条氏ゆかりの城址
鎌倉幕府の執権「北条氏」の子孫が、「後北条氏」と思っているヒトは多いと思う。歴史に興味がなければそんなもんだろう。数年前までワタクシもそんなもんだった。城址めぐりの企画をして「そうじゃない」と理解したけれど、これを説明するのはやっぱり難しい。「伊勢新九郎盛時」だった男が「伊勢宗瑞」であり、伊豆を平定した後に出家して「早雲庵宗瑞」を名乗り、その後に相模の豪族「三浦導寸(義同)」を、根気よく三浦半島に追い詰め、油壺にある新井城で滅亡させ、相模全域を手中にしたこのヒトを、一般的に「北条早雲」と呼んでいるのだけど、「よし、今後は鎌倉時代のブランド名"北条"を名乗るぞ!」としたのは、2代目の「氏綱」からなので、初代が生きてる時に自分で北条とは言ってないらしい(わかりにくいなあ)。そしてこの子孫が豊臣秀吉に負けた、4代「氏政」、30歳で病没した5代「氏直」なのだが、これだけでほら、もう書くスペースがなくなってしまった。写真は後北条水軍の拠点だった「浦賀城本丸址」から、ライバルだった里見氏の城があった、房総半島を遠望する皆さん。
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